雨の街を / 荒井由実(1973年-日本)
『雨の街を』
そんな一曲の、個人的な感想や歌詞解釈などなど。
まず当時19歳であった荒井さんの感性が、半世紀経っても色褪せない。
宇多田ヒカルさんのFirst Loveの
最後のキスは タバコのFlavorがした (First Love / 宇多田ヒカル)
のような「どんな代償を支払ったらその歳でその歌詞書けるんだシリーズ」。
でもこの感覚は正しいようで正しくなくて、もし自分だけが特別に2000年生きたとて、この感性は得難いと理解できる。
「死ぬときに聞きたい曲」
この曲のライブバージョンがYou Tubeにアップされていて、そのコメントに「死ぬときに聞きたい曲」とあり共感した。
ーーー朝、ひと仕事を終えた老婦人が雨を眺めながら『雨の街を』を口ずさむ。
ささやきながら降りて来る 妖精たちよ(雨の街を / 荒井由実)
叶わなかった夢ーーーふと昔を思い出す。
誰かやさしくわたしの 肩を抱いてくれたなら
どこまでも遠いところへ 歩いてゆけそう(雨の街を / 荒井由実)
いま身の回りにある幸せーーーふと自分に戻る。
そう、しとしと雨のようにゆっくりだが、歩いて来れたのだ。
そんなコメント主さんの人生の情景が目に浮かぶ。
借景
松任谷由実さん御本人が「私の一番好きな曲」と、歌唱前にひとこと添えるこの一曲。
リリース時期を考えると松任谷正隆さんとのエピソードがあるのかな、と感じる。
実際この曲のレコーディングに関してのエピソードはネット見た。(一輪のダリアの花)
作中では「誰か」とあるが、誰でも良いけど「どこまでも」行ける人は居ない。
この曲を聞いた人の心にもきっと「特定の誰か」が居て、その人との思い出がこの曲を普遍の名曲にしていると感じる。
名曲を名曲たらしめるのは、共感が生む、心の借景である。
一方で文字通り、「誰でも良くてどこまでも行ける」と解釈すると、これもまた深い。
19歳の少女が胸に秘めた焦燥と苦悩の混ざった複雑な感情は、こう言い表せるのかと納得する。
妖精たちに複雑な感情を抱かされる女性は多いだろう。
『中央フリーウェイ』
この曲の後に『中央フリーウェイ』を聞くのが好きだ。
片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
愛してるって言ってもきこえない 風が強くて(中央フリーウェイ / 荒井由実)
「誰でもいいどこまでも行けそう」と言っていた少女のその後の状況に、思わず口角が上がる。
もちろん、中央自動車道は歩いてはいけない。
追伸
最新のベストアルバム『ユーミン万歳!』、その前の40周年記念アルバム『日本の恋と、ユーミンと。』にも収録されなかった。
それもまた良い。